2010年2月23日火曜日

舞台装置とよばれる舞台背景画

 
 
先日、長い期間、中断や加工作業でなかなか先へ進まなかったバレエ用のドロップの描き仕上げ(おそらく仮)を行ってきた。

バックドロップ - 部分写真



何故 "仮" に なっているかというと、もう一つこの背景幕に絡む道具があるから再度描き調整が必要なのでは?と予測するから。

うえの部分写真も今回やっと手を入れて進めることが出来た部分。その理由もやはりここを仕上げるまえにひと工程細工が入った為だ。


写真の中に細工は見えてるんだけど分かりますか? 

・・と振っておきながら、それが分からないところがいいんですねー。



まだこの道具は使用前だから仕掛けの話はあまり書けないんだけど、この幕には細工箇所が多いんです。


制作している身としては単純な仕掛けなんだって分かっているのだけれど、やはり観客がそれを見たときが評価の分かれ道。


仕掛けが単純?・・・いえいえ難しければよいモノではないと思います、個人的には。


それよりもその効果の大きさが大事ではないのでしょうか?


例えば、演劇の世界での舞台装置となると、一つ一つの要素が演出と絡んで、
あれはこう、これはこういう事を意味していて…
といったような哲学的にも深い意味が込められている。言うまでもないがそれらを表すための装置であり、お芝居の本質・演出家の意図等をビジュアル面から観る人に伝えている訳だ。

演劇を観に行く機会は少ないけれど、それでも観劇の際はお芝居と併せて舞台セットの隅から隅まで見渡して自分なりに “ あの演出とこの装置はきっと〜ってこと?” なんて考えながら観る事になる。だから一本演劇を観ると頭は疲れきってしまうけど。でもそれがいいんだよね。しばらくの間登場人物が頭から離れなくてさ。



クラシックバレエの舞台においては、一概には言えないが、演劇の舞台装置ほどの自分が想像するような哲学性はないとは思うけど、それよりもバレエパフォーマンスと併せて視覚的に観客に楽しんでもらえるような演出が多いのではないだろうか。

立体のセットを作れば、それはもう仕掛けがあって当然のような佇まいをしているが、

自分が常に関わっている背景幕はいつもフラット(別素材を貼り付けたりすれば半立体的だが)。

それなのに色々細工を施すことにより時に立体の装置と見紛う表現をする。

もちろんそこには照明の力や、舞台監督、転換スタッフ等の力が必要だけど。


自分は舞台の背景画を描いてます。

しかしそれはただの絵、背景ではありません。

舞台道具の一つ、セット或いは装置。 

立体のセット・装置とは変わらない大事な舞台装置・道具です。

だから制約も多いし、気を遣わなければならないところが図面だけでは計れない。

なんといっても相手が “生地” という場合がほとんどだから。彼らは生き物だから・・・


でも、そ こ が おもしろいんだなー。







● 舞台装置とよばれる舞台背景画












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